FMアップルウェーブで毎週金曜日放送中の「ヴィッファ・ブランデュー!」のコーナーに小林 義朋選手が出演いたします。
放送はこちらからお聴きいただけます。
[日時]
5月20日(金)14:40頃~
[出演者]
小林 義朋選手
毎月第3金曜日は「あきほのstep by step」をお届け致します。
FMアップルウェーブで毎週金曜日放送中の「ヴィッファ・ブランデュー!」のコーナーに小林 義朋選手が出演いたします。
放送はこちらからお聴きいただけます。
[日時]
5月20日(金)14:40頃~
[出演者]
小林 義朋選手
毎月第3金曜日は「あきほのstep by step」をお届け致します。
2022東北社会人サッカーリーグ1部 第2節
ブランデュー弘前FC vs FCプリメーロ
2022年5月29日(日)13:00キックオフ
会場 鳥見山公園多目的広場(福島県岩瀬郡鏡石町緑町199)
この試合は会場での観戦が可能です。
[観戦可能エリア]
観戦可能エリアは下記の通りとなります。フェンス外からのみ観戦可能となりますので、あらかじめご了承ください。
[応援横断幕の掲出について]
横断幕の掲出をご希望の方は5月26日(木)18:00までにブランデュー弘前FC 事務局(MAIL info@blancdieu-hirosaki.com)までご連絡ください。
[新型コロナウイルス拡大防止にあたってのお願い]
●体調がよくない場合はご来場を見合わせてください。
(例:発熱・咳・咽頭痛などの症状がある場合)
●同居家族や身近な知人に感染が疑われる方がいる場合はご来場を見合わせてください。
●過去14日以内に政府から入国制限、入国後の観察期間を必要とされている国・地域等への渡航又は当該在住者との濃厚接触がある場合はご来場を見合わせてください。
●スタジアムではマスクを着用してください。(スタジアムでのマスクの配布はございませんので、各自ご準備ください。)
[応援スタイルについて]
感染対策のため、サポーターの皆様のご理解・ご協力をお願いいたします。
容認される行為
●横断幕掲出
※掲出の際、密にならないよう十分配慮してください。
●拍手・手拍子
●タオルマフラー・ゲートフラッグ等を掲げる
●大旗を含むフラッグを振る
●タオルマフラーを振る、もしくは回す
●鳴り物(太鼓・応援ハリセン等)の使用
※自席でのみ使用可能となります。
禁止される行為
●声を出す応援(指笛・チャント・ブーイング、トラメガ・メガホン・トランペットなどの道具・楽器の使用)
●メガホンの使用
●人と接触する応援(ハイタッチ・肩組み)
●密を作る応援(お客様がいる座席での「ビッグフラッグの掲出」
※上記の注意事項に従って頂けない場合は、会場スタッフより注意させていただく場合があります。また、それでもお守り頂けない方に関しましては、やむを得ず退場していただく場合がありますので、予めご了承ください。
公式Youtube「ブランデューチャンネル」でライブ配信を実施
https://youtu.be/oYPRJs66qrk
ブランデュー弘前FC
FCガンジュ岩手
試合日時 | 2022年5月15日(日) 14:00 KICK OFF | 会場 | 弘前市運動公園 球技場 |
---|---|---|---|
天候・風 | 晴/強風/全体良 | 観客数 | 276人 |
東北リーグ2節 FCプリメーロ vs ブランデュー弘前FC
2022年5月29日(月)13:00キックオフ @鳥見山公園多目的広場
ブランデュー弘前FC | |
---|---|
4分 | 西田 優太 |
71分 | 高橋 佳 (八田 壮一郎) |
76分 | 高橋 佳 (笠原 啓夢、川﨑 達也) |
FCガンジュ岩手 | |
---|---|
7分 | 山元 佑哉 (牧野 純己) |
ブランデュー弘前FC | ||
---|---|---|
GK | 1 | 河野 匠哉 |
DF | 4 | 川﨑 達也[Cap] |
DF | 5 | 坂木 快人 |
DF | 6 | 笠原 啓夢 |
DF | 27 | 町田 直隆 |
MF | 14 | 宮阪 淳也 |
MF | 16 | 西田 優太 |
MF | 20 | 森永 耀晟 |
FW | 9 | 高橋 佳 |
FW | 11 | 高木 輝之 |
FW | 15 | 船川 琢之介 |
SUB | ||
GK | 30 | 横川 新 |
DF | 3 | 片山 修 |
DF | 26 | 松山 瑠偉 |
DF | 33 | 小野 春輝 |
MF | 7 | 小田桐 龍也 |
MF | 21 | 根本 直弥 |
FW | 25 | 八田 壮一郎 |
FCガンジュ岩手 | ||
---|---|---|
GK | 17 | 藤原 真之介 |
DF | 3 | 橋本 純弥 |
DF | 4 | 平中 忠慶 |
DF | 6 | 西山 一輝 |
DF | 18 | 和田 勇太 |
MF | 14 | 的場 大治 |
MF | 16 | 山元 佑哉 |
MF | 32 | 熊谷 紋司 |
FW | 8 | 佐藤 史門 |
FW | 10 | 熊谷 心真[Cap] |
FW | 11 | 牧野 純己 |
SUB | ||
GK | 1 | 吉田 裕也 |
MF | 13 | 佐藤 智也 |
MF | 20 | 謝花 佑騎 |
MF | 22 | 大内 周 |
MF | 24 | 千葉 光生 |
FW | 19 | 藤田 優吾 |
ブランデュー弘前FC | ||
---|---|---|
HT | [out] 町田 直隆 | [in] 片山 修 |
HT | [out] 高木 輝之 | [in] 八田 壮一郎 |
60分 | [out] 森永 耀晟 | [in] 小田桐 龍也 |
60分 | [out] 船川 琢之介 | [in] 小野 春輝 |
81分 | [out] 笠原 啓夢 | [in] 根本 直弥 |
FCガンジュ岩手 | ||
---|---|---|
81分 | [out] 西山 一輝 | [in] 千葉 光生 |
ブランデュー弘前FC | ||
---|---|---|
66分 | 宮阪 淳也 | |
90分 | 根本 直弥 |
FCガンジュ岩手 | ||
---|---|---|
– |
ブランデュー弘前FC | |
---|---|
シュート数 | 17 |
GK | 2 |
CK | 9 |
直接FK | 10 |
関接FK | 1 |
オフサイド | 5 |
PK | 0 |
FCガンジュ岩手 | |
---|---|
シュート数 | 3 |
GK | 13 |
CK | 2 |
直接FK | 8 |
関接FK | 5 |
オフサイド | 1 |
PK | 0 |
2022年5月14日(土)に山形県総合運動公園陸上競技場で開催された「第64回東日本実業団陸上競技選手権大会」にブランデュー弘前 陸上クラブの所属選手が出場しましたので、大会結果をお知らせします。
第64回東日本実業団陸上競技選手権大会
[種目]
円盤投げ 男子
[出場選手・結果]
菊池 颯太 5位(記録 39m44)
[菊池 颯太 選手コメント]
3連戦の最後の試合で一番結果を残したいという中で試合に臨みましたが記録と順位どちらも望んだ結果を残すことができませんでした。
次の試合まで間があるので一から見直していきます!応援ありがとうございました!
[種目]
やり投げ 男子
[出場選手・結果]
工藤 辰郎 2位(記録 63m51)
[工藤 辰郎 選手コメント]
かなりの悪天候の中での試合でした。望んでいた記録を出すことはできませんでしたが、結果としては上位3位以内に入ることができたので良かったです。
引き続きみなさんの期待に応えられるように精進していきます!
たくさんのご声援をありがとうございました!
2022東北社会人サッカーリーグ1部 第1節
ラグノオスペシャルマッチ
ブランデュー弘前FC vs FCガンジュ岩手
2022年5月15日(日)14:00キックオフ
会場 弘前市運動公園球技場
[結果]
3-1で勝利!(前半1-1/後半2-0)
[得点(アシスト)]
04分 #16 西田
71 分 #9 高橋(#25 八田)
76 分 #9 高橋(#6 笠原 ・#4 川﨑)
たくさんのご声援、ありがとうございました。
[メディア掲載]
<陸奥新報>
掲載日 2022年5月16日(月)
掲載位置 1・3面
津軽の社会人サッカー2チーム弘前で開幕戦
上記より記事の一部をご覧いただくことができます。
<東奥日報>
掲載日 2022年5月16日(月)
掲載位置 9面
次節案内******************
2022東北社会人サッカーリーグ1部 第2節
ブランデュー弘前FC vs FCプリメーロ
5月29日(日)13:00キックオフ
会場 鳥見山公園多目的広場
ブランデュー弘前のサッカー教室のコーチはトップチームで活躍する高木輝之選手がつとめます。これからサッカーを始めてみたい子にもレベルアップを図りたい子にも基礎を大切に指導します。
[日時]
5月30日(月)午後5時30分から午後7時
[場所]
サッパドゥ(弘前市高田4-3-4)
[内容]
パスやシュート、ドリブルの基礎を徹底的に指導します
※当日は動きやすい服装、屋内用シューズ持参でお願いします。
[コーチ]
高木 輝之(ブランデュー弘前FC選手)
[対象]
小学校3年生~6年生 先着16名
[参加料]
500円
[お申し込み先・お問い合わせ先]
ブランデュー弘前(NPO法人弘前Jスポーツプロジェクト)
担当者:黒部 能史
TEL 0172-26-6607(受付時間9時~18時)
Mail bhfc.school2012@gmail.com
ブランデュー弘前FC 10周年記念サイト「SPECIAL MOVIE」に「10周年記念 弘前・津軽出身選手メッセージ」を追加しました。
クラブOBの皆様が紡いできた想いを未来に繋いでいくのは、ブランデューで今を戦う選手達。
彼らを代表して、5人の弘前・津軽出身選手が決意を語ってくれました。
ぜひご覧ください。
2012年5月13日にブランデュー弘前FCは発足いたしました。発足当初は青森県1部リーグに所属、監督が決まらず、最初の数か月は選手のみで練習や試合に臨んだこともありました。まだまだ環境面でも十分とは言えず、仕事で練習に来ることができない選手も多くおり、少ない時は5人で練習をしていたこともありました。
それから10年の月日を重ね、本日5月13日、ブランデュー弘前FCは創設10周年を迎えることができました。
これまでたくさんの選手・スタッフがブランデューに加わり、たくさんの方がブランデューを応援してくださり、たくさんの方と繋がることができました。今このような環境でサッカーができ、試合ができているのはこの10年の歴史を紡いでくださった、ブランデューに関わる全ての皆様のおかげだと思っております。ブランデューに関わっていただいた全ての皆様に感謝申し上げます。
10年の歴史は積み重ねましたが、ブランデューの目的としてはまだ道半ばです。
弘前や津軽地域の皆様、そしてブランデューを応援していただいている全ての皆様に夢や希望を届け、地域に必要とされる存在になるためにこれからも選手・スタッフ・クラブ・一丸となって精進して参ります。
また、Jリーグに参入するためにクリアしなければならないハードルがあります。
より強く、より愛され、見ている人たちをワクワクさせるチーム作りをしていかなければなりません。
たくさんの方々にブランデューの取り組みをご理解いただき、ご支援いただき、地域の皆様に応援されるチームになっていかなければなりません。
スタジアムなど、地域のスポーツ環境を整備するために、行政や地域団体等と、より情報を交換し緊密に連携し、共に取り組んでいくスタイルを構築していかなければなりません。
ブランデュー弘前FCはこれまでも、そしてこれからもサッカーを中心としたスポーツで、よりこの地域を元気に、生き生きとした活力のある街にしていきたいと思っております。
弘前からJリーグを。この夢を実現するために、これからも邁進して参ります。
改めて10周年を迎えられたことを全ての皆様に感謝申し上げますと共に、今後ともご指導・ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
株式会社ブランデュー弘前
代表取締役 西澤雄貴
こんにちはっふぇ!ブラッフェだっふぇ!
皆様の応援のおかげで、もうすぐブランデュー弘前FCはクラブ創設10周年を迎えるっふぇ。
という事で、サポーターの皆様に改めてブランデュー設立時の事や、その想いを知ってもらいたいはんで、あの人へのインタビューを敢行したっふぇ!
こんにちは。
NPO法人弘前Jスポーツプロジェクトの理事長、ブランデュー弘前FCの設立者である黒部 能史(くろべ よしふみ)さんだっふぇ!
早速ですが、ブランデュー弘前FC設立の経緯について伺いたいんだっふぇ!
そんな堅くしゃべらなくても良いんでしょ?
もちろん!ざっくばらんにお願いしまっふぇ!
きっかけ…。どこから話をすれば良いのか…。仙台の大学に通っていた時に、ブランメル仙台というチームが当時あって(現 ベガルタ仙台)。「Jリーグを目指す」って宣言した時が、ちょうど大学生だったんですよ。街の中で少しづつ「Jリーグのチームを創っていくよ」っていう雰囲気が醸成されていって。TVのCMで「ブランメルを応援しよう」とか、街中にフラッグが飾られるようになったりとか。リトバルスキーやオルデネビッツがプレーしてたりとか。街の中で「Jリーグできるんじゃない!?」という雰囲気に少しずつなっていって。そういうのを見て、面白いなって思ったし。
後は当時、今のユアスタ(ユアテックスタジアム仙台)でコンサドーレ札幌と浦和レッズの試合を観てるんですよ。揃いのユニフォームを着たおじいちゃんと孫が手をつないでたりとか。大人たちがお酒を飲み交わしながら、「あーでもない、こーでもない」とかしてたりとか。そういうのを見て、「青森県ってこういうのないよな。こういうのがあったら楽しいだろうな。」と思ったのが1番最初のきっかけかな。
その後、大学を卒業して弘前に戻って来たっふぇよね?
23歳の時だよね。その時はアステール青森っていうチームがあったんだけど、消滅してしまって。「この街で創れるんだべかな?」って思いながら、「でも、いつか創りたいな」って思ってた。
その後、「リベロ津軽」の運営に携わるっふぇよね?
24歳か25歳の時からかな。(自分が子どもの時に)サッカーやりたかったけど、やれる環境がなくて。小学校の時はサッカー部がなかったし、今みたいにクラブチームがあるわけでもないし。中学校のサッカー部はそこそこ強くて。でも、リフティングもできないのに、中学校からいきなりやれないじゃない。で、諦めて。でも体育の授業とかではサッカーが好きで。だから、いつか何かしらの形で携わりたいなと思って。社会人になってから、遊びで良いからサッカーしたいなと思ってて。それで、リベロ津軽に「蹴球会」っていうチームがあったんですよ。トップチームではなくて。
いわゆる「エンジョイ志向」のチーム?
そうそう。そこに入って楽しみながらサッカーやってたんだよね。その中で、「中学校の年代ってサッカー(をする環境が)大変なんだよ」っていう話を聞いて。なんでかっていうと、学校の先生が指導者だから、転勤することがあるじゃない?そうすると、今までの先生がサッカー経験者でしっかり教えていたのに、新しくサッカー部の顧問になった先生がサッカー経験があるとは限らないんだよね。そうなると急に弱くなってしまうとか。「サッカーやりたいけど不安定…っていう状況になっているんだ。」と。それを聞いて、「なるほどな。」と。そういうことがあるから、クラブチームって大事なんだなって。
それで、理念に共感させてもらって「お手伝いします。」っていうことで。協賛を集めたりとか、会報誌を作ったりとか。それで、色々勉強しなきゃってなったりね。当時、リベロにトップチームがあって、2008年くらいからチームを強化し始めたのかな。そのチームをJリーグのチームにっていう気持ちが自分の中で出てきて。
でも、ちょうどその頃、「Jリーグを目指せ」っていうチームがいっぱい出てきてさ。出てきちゃ潰れてしまっていた訳よ。だからリベロとしては、子ども達のスクールの環境・学ぶ環境を、トップチームが(Jリーグを)目指す事で失敗して、失くしてしまうという事は良くないと。
だから、NPO法人弘前Jスポーツプロジェクトを立ち上げて、ブランデュー弘前FCとして活動していくことにしたっふぇね。
あらゆる人が望む環境でやれることが大事だと思うからさ。そのためには、子ども達のカテゴリーだけじゃなくて。トップチームがあって、シャワー効果で色々なものが地域に波及していくっていうのが(必要だという想いが)、自分の中であったから。例えば、コーチが所属していたら、空いた時間を使って地域の子ども達に教えることができるし…。そういう風にしていくと、みんなハッピーになるわけじゃない?自分の考え方で「業界総資産の拡大」っていうのがベースであって。「スポーツ」っていう業界の総資産が大きくなれば、みんなの価値が上がるわけで。スポーツの価値が上がれば上がるほど、それが仕事になっていくから。
なるほど。ブランデューの立ち上げ自体は2012年だふぇど、その準備をスタートしたのは?
2011年。
すごいスピード感!
実際に組織を作ってっていうのは2011年の11月とかそれくらいじゃなかったっけな?
じゃあ、本当に何か月かで…。準備をし始めてから設立までのタイミングの中で、周囲の方の反応はどんな感じだったふぇか?
「絶対無理でしょ」しか言われないですよ(笑)
ふぇー!?
「絶対無理!」しか言われなかったよ!「青森県じゃ無理でしょ。」って言われてた。「弘前じゃ無理でしょ」じゃなくて。
そういう声ばかりだったっふぇか?
多かった。けど、その中でも共感してくれた人もいたし、「応援してるよ」って言ってくれた人もいるし、その人たちが初年度から応援してくれてる人たちなんだけど。
それこそ、弘前Jスポーツプロジェクトの理事の方たちは、「やっていこうよ!」っていう感じで集まった方たちっふぇよね?
うん。スポーツをするためだけに創ったわけじゃないから。そもそも「まちを元気にしよう!」っていうのが最大のゴールだからさ。
(サッカーは)そのための手段だっふぇよね。Jリーグ昇格自体が目的ではなくて。
最初から分かってたわけじゃないけどね。大学生の時なんて「サッカーがあれば良いな」しか思ってなかった。少しづつ積み重ねているうちに、そうじゃないなって思うようになって。
ネガティブな声が多かった中で、黒部さんが思っていたことを教えてほしいっふぇ。
なんだろうな。自分の力不足っていうか。伝える力がないんだな、イメージさせられないんだなって思った。だから、松本に一緒に行きましょうとかベガルタを観に行きましょうとかの企画に繋がってるんだよね。人は観ないとイメージできないし、イメージできないと実現できないじゃない?やっぱり実物を見てもらわないといけないんだなと思った。
弘前だと観る機会は少ないっふぇよね。東北楽天イーグルスの1軍戦が初めて弘前に来たのも2017年だっふぇもんね。
イメージできないと実現できないんですよ。イメージできないと方法も見つけられないからね。
逆に当初から応援していただいている方たちへの想いは?
「ありがたいな。」これに尽きますね。さっきの話の真逆で、イメージできないもの、形になっていないものを、心意気だけで応援してくれるってことだから。嬉しかったね。
そもそも、「青森では無理」という声がある中で、なぜ弘前で始めたっふぇか?
まず、「青森じゃ無理」って言うのが自分の中で納得できなくて。設立会見の時に「目指すチームはどこですか?」っていう質問があって、それに「サガン鳥栖と松本山雅だ」って答えてるんですよ。鳥栖市の人口どれくらいか知ってる?7万人くらいの市なんですよ。人口ベースで無理って言うなら、なんでそこでできたの?って話になる。みんなスタートは一緒。もともとの街クラブが、「このチームは素晴らしい」ってなって、みんなでお金を出し合って、大きくなっているんですよ。だから、もっと市民の方々から共感してもらえるようなチームになれば弘前でもできるって思った。企業から協賛のお金はチームに対する期待値だし、サポーターズクラブは現在地。自分の中で、市民に共感してもらえるか、もらえてないか。企業は「頑張ってるから出すよ」って言ってくれるかもしれないけど、市民は違うじゃない。だからそこに共感してもらわないといけないし、そこにたどり着いてほしい。(青森県なら)「青森市でやった方が人口が多いから可能性はある」って言われたことがある。でも、そもそも「自分が愛する故郷の元気」がゴールだから。Jリーグのチームを作りたいだけじゃないから。
設立当初に特に苦労したことはありまっふぇか?
苦労したこと?なんだろうね。人がいなかったよね。
人?
スタッフもいないし、選手もいないし。1番最初は監督が決まらなかったっていうのが。
初年度はシーズンが始まってからの合流だったって聞いたことがあるっふぇ!
7月だね。4月1日になると、いつも思い出すんだけど、水沢サッカークラブとトレーニングマッチをしたの。で、帰ってきてから青森県武道館の会議室でミーティングをやって。「今日どうだった?」って話をして。濱中大が「良いっすか?」って。「監督が決まんねんだば、わ辞める。他のチーム行く。」っていう話になって。当然そうなるよね。でも、自分も前の年の10月くらいから、ずーっといろんな人に会ってたんだけど、なかなか決まらずね。5月かな、決まったのは。監督が決まらなかったのが1番きつかったかな。
これから設立するというクラブに来てくれる方がなかなか少ないでしょうし、良い条件提示ができる訳でもないっふぇよね?
そこも感覚の乖離っていうかさ。僕らは青森にいるから、「この条件でお願いします!」って頑張ったつもりでも、都会の方から見ると「生活できないじゃん」ってなるんですよ。だから、しっかりプロファイル作って、30歳代前半から半ばで、元Jリーガーで、自分でプレーを見せることができて、明るいキャラクターで、って感じで自分の中で監督像を作って、探したんだよね。
やっぱり元Jリーガーっていうのはポイントだったっふぇか?
ポイントだったね。なんでかって言うと、地域の子ども達に「プロの技術を見たことがない」って子が多かったんだよね。2007年に弘前に前園真聖さんを呼んだ時にね、「Jリーグ観に行ったことある人!」って手を挙げてもらったの、子ども達に。そしたら誰もいない!じゃあ、そういうのを見せなきゃと思ったから、そこにはこだわった。
そういう条件にマッチした人が…。
ようやくね。現れて。色々な人の繋がりの中で、「こういう人がいるけど」って吉本岳史さんを紹介されて。「じゃあ、行きます!」って東京にすぐ行ったんだ。「会えないかもしれない。」って言われたけど、「大丈夫、行く!」って。結局、会えなかったんだけど。でも後日すぐ、1回弘前に行きたいと(連絡をもらって)。それで、来てくれたんだよね。東奥義塾高校で練習している時に見に来てくれて、条件面の話をしたり、環境の話とか、こういう風にしていきたいとか、そういう話をしながら。吉本さんは「自分も仕事をしていて、すぐには辞められない」と。「7月でないと合流できないけど、それで良かったら。」って。「お願いします。」という事で、そこで決まった。本当にギリギリだったと思う。
2012年のブランデュー弘前FC。後列左から3人目が吉本 岳史 選手兼監督。
「ブランデューを設立して良かったな」って思うことはあるっふぇか?
まだ道半ばだからな。こういうことが良かった、ああいうことが良かったとは言えないけれど。自分の中で1つ嬉しかったことっていうのがあってさ。「食と産業まつり」ってあるでしょ?その中で「僕の夢・私の夢」みたいなコーナーがあってね。その中に「僕の夢は将来ブランデュー弘前FCに入って活躍することです。」っていうのがあって。それが自分の中で凄い嬉しくて。「良かったな」って思ったんだよ。
子ども達の目標になっていく…という1つの形になれたという事っふぇよね。
そう。夢を背負ったな、と。そういう意味では責任も重大だなと思った。子ども達に常に見られているという存在であったり、子ども達の目標になったりとか。でも、それが1番良かったと思ったことかな。街が変わったとかは…。まだ全然変わってないしさ。…いや、変わったのかもしれない。例えばスポーツ界で言えば、「津軽スポーツ応援団」とかね。そういうのができてきたりとか、一体感はできてきた。自分たちの存在をきっかけに、「弘前アレッズ」ができたりとか、「弘前サクラオーバルズ」ができたりとか。でも、自分たちが目指してる目標には、まだ道半ばだからさ。
先ほどの作文の話に近いっふぇけど、松山瑠偉選手がブランデュー弘前FCに入団する時のコメントで「小学生の時にブランデューを観て、その時から入りたいと思っていました。」と。別の取材で聞いたら、2014年の猿田興業との首位決戦を観に来てくれたみたいっふぇ。
あー!あの1部に上がれるかどうかの!佐藤拓がゴール決めたやつだ!
それっふぇ!それが楽しかったみたいで、「いつかブランデューで」と思ってくれたらしいっふぇ。やっぱり、それは黒部さんたちが積み上げてきたことの成果が出てきているのかなと思ったっふぇ。
積み上げていくからこそ、歴史って価値あるものでさ。立ち止まっちゃいけないなと思うし。色々な人の想いを背負っているという事を絶対に忘れちゃいけないよね。
これからのブランデュー弘前FCをこうしていきたいという想いを教えてほしいっふぇ。
やっぱり途中の話に戻るけど、サポーターの数が現在地だと思う。市民に支えていただけるクラブになりたいと思うし。自分がよく使う言葉なんだけど、市民に愛されるクラブじゃなくて、市民・ホームタウンを愛するクラブになりたい。これで大丈夫かな?とか、うまくいってるかな?とか。スポーツの環境でも、自分達でできることってないかな?とか。そういうことを常に気にしながら活動できるようなクラブになっていきたい。愛されるのは後からだからさ。まずは片思いでも良いから、弘前市を常に愛するクラブでいたいなと。そういう風に思う。
そういう想いで立ち上げられたクラブでふぇからね。
市民の笑顔がクラブの元気ですよ。
本当、そう思いまっふぇ!!
最後に、これまでブランデューを支えてきてくれている人への想いを教えてください。
本当に、仲間に助けられたなというのが1番だなと。自分が35歳の時に創っているから、それまでの35年間でお付き合いのあった人たちに支えてもらったし。その後に会う人、会う人にも支えてもらったから。自分の想いだったりとか考え方に共感してくれてるわけだからさ。本当にありがたいなっていう気持ちです。
今日はありがとうございましたっふぇ!
黒部 能史
1976年6月12日生まれ。青森県弘前市出身。
2012年5月13日にNPO法人弘前Jスポーツプロジェクトを設立し、理事長に就任。